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2018年2月18日 (日)

思辨改計劃・初期目標達成、完了!

Filed under: 最新情報 - 野阿 梓 @ 23:59:00

関係各位のご声援、ご叱咤激励の中、どうにか、当「思辨改」サイトは、当初の目標であった、旧SPJサイトの回収データ分の復旧を完了し、第一段階は成功裡に終わりました。
ありがとうございます。

トップページにも記しましたように、このプロジェクトは、SPJサイトの創設メンバーだった荒巻老師の、ネット某所での打診に応えて、当方が手を上げて、その「要請」によって開始したもので、その際、同じく創設メンバー並びに、サイトを実際に立ち上げ、アドミニストレータをやっておられた増田まもる氏の了諾の上で、推進してまいりました。
お二人とも、スタート時には、非常に歓んでいただき、これが、なによりの励みになりました。

復旧データとしては、これも開始した時のトップページに記しましたよう、誰でもアクセス可能な、ネット上のタイムマシン、インターネット・アーカイヴから元サイトのデータを回収し、その他、自分でも採取していた補完分もふくめて、約1.7MBほどのテキストファイルを元にして、復旧を行いました。

このたび、一次目標達成につき、全データをエクスポートいたしましたので、これで、いつでも、どこでも(フリーのブログやその他のサイトなど)、旧SPJは、再構築が可能となりました。

こうしたことを付言するのは、不幸にも、現在、当方にはアンチがいて、たまたま、その方が、当該SPJのメンバーだったことから、作業半ばまで進行した時点で、「これは著作権侵害行為だから、ただちに自分の文章を削除されたし」との連絡を受けているからです。

こうした「著作権」を振りかざして相手を恫喝する手口は、パソ通時代から、さんざん目にしており、今に始まったことでもない、ことふりに足りたものですが、当方としては、「削除要求には首肯しがたい」、として、慎んで謝絶もうしあげております。

なんとなれば、このサイトは、もう一人の人間の所有物ではなく、いわば、公共財だからです。
しかも、当方は、創設メンバーから要請と許諾にもとづき、これを代理で行っているわけですし、元サイトがネット上のSFというサブジャンルにせよ、それは文芸批評サイトだったわけで、その学問的水準は、作業しつつ、瞥見しておりましたが、非常に高いものです。すなわち、当方が行っている作業は、文芸批評における「学術的引用」にすぎない。だったらこれは、著作権法上の「例外規程」に入りますから、法的にも、なんら問題ないわけです。当方は、すでに退職しましたが、長く大学図書館に勤めておりましたので、こうした著作権をめぐる法理には、神経質ならざるをえないのですが(文化庁の主催する著作権講習にも参加しております)、その上で、これは著作権法上、なんら問題ないもの、と判断して、作業を開始しました。
よって、特定の個人の言説だけ、著作権をたてに、削除するのは、当方は、これは認めません。だから、削除要求を謝絶した次第です。こうした経緯から、法理の解釈はべつとして、そのアンチな方も含め、関係各位のご理解、ご寛容をいただきたく存じます。

目下、増田氏が呼びかけて、かつての投稿者による、未回収データの補完をお願いしているところです。これにお応えして戴ければ、インターネット・アーカイヴではサルベージ出来なかったデータが、当人、当事者だった投稿者自身によって、補完される予定です。補完データは、そのまま、当方が当サイトにアップロード(インポート)いたします。
なにとぞ、(アンチの方のような狭量な言い条でお応えするのではなく)、旧サイトの完璧なる復旧を目指して、各位の快いご協力をお願いするものです。
どうか、よろしく、ご高配ください。

そもそも、当方は、本来、旧SPJとは、「無関係」な人間です。
旧サイトのサイドバーを見ると、メンバーには名を連ねておりますが、いちども、そこに投稿したことはありません。
当方が、某SNSで書いて、文書中に「この転載を許可する」旨、記した「日本SF評論賞」に関する、過去に書いた文章の過ちを認めて、これを正し、その「正史」というか、賞設立の裏側をつづった文章を、ほぼ全文引用して、某氏が投稿してくれたのが、唯一の例外です。が、しかし、これは、いわば、ツィッターで、「拡散希望」とある文章を弘めたようなものです。あくまでも、投稿者は当方ではありませんでした。
だから、SPJには、当方が積極的に関わったことは一度もないのです。

では、なぜ、当事者でもない、当方がこの作業に挺身したのか?
それは、あくまでも、あの2007年のワールドコンのパネル「Speculative Japan :ニューウェーヴ/スペキュレィティヴ・フィクション」において、かつて論敵同士で、今や盟友同士となった、山野浩一、荒巻義雄の両氏が、ともに手を携えて、壇上に上がり、非常にアグレッシヴで有意義な論議を交わした、あの情景を目の当たりにし、それを心に刻んで、感銘に拍たれたからに他なりません。(歴史が動いた!) そう思えた瞬間でした。

その時のパネルの司会ならびにコーディネータが、増田まもる氏だったのですが(氏は、NW-SF門下生でしたから、その時までには、当方は、山野さんとの交友の中で、いちどならず面識は得ていたと憶えております)、聞くところによりますと、パネルが終わったあと、荒巻さんが、増田さんに「こうした有意義な論争があっても、それは消えてしまう。なんとか、形が残るような方法で、そうした論争の場を作れないものだろうか」と相談して、その意気に感じた増田さんが、同年末に、立ち上げたのが、SPJサイトでした。
すなわち、SPJとは、論客・荒巻義雄氏が、盟友の門下・増田まもる氏とともに、共同創設者として立ち上げたSF批評系サイトだったのです。

増田氏には、パネル当日、当方が、山野さんのすわっていた席近くに、こそっとICレコーダを置いて(それを黙認してもらい)、全発言を録音していたのですが、パネルのまとめを、増田氏がワールドコン総括に際して書く際に、その音声データをMP3とCDに焼いて提供したことがあり、それゆえ、SPJに、メンバーとして当方の名を連ねてくれたのだ、と解釈しています。

一方、その間――、
ほぼ並行して、荒巻氏をはじめ、山野浩一氏や増田さんも、日本SF作家クラブに入ってくれました(荒巻氏は、再入会でした)。特に山野さんのクラブ入会には、70年当時、SF界の検事だなんだ、と否定的に云われ続け、その真っ当な言論が、黙殺され続けていたのを、1ファンとして、歯がみしながら見ていた当方らとしては、欣快至極なる状況が出来したわけであります。
いい時代になったものだ。しみじみ、そう思いました。

しかしながら、その中でも、荒巻さんは、ただ(一時的に離れていた)SF作家クラブや、SF界そのものに形ばかり復帰しただけではありませんでした。
上述した訂正文書にも明記しているように、巽孝之氏を始めとする、何人もの会長をふくめた有志の、たゆまない尽力により、2006年度から早川書房にて発足した「日本SF評論賞」の選考委員長を自ら務め(2007年から2011年まで)、おびただしい数の新人批評家(の卵)を見出し、輩出させたのです。
2006年から2014年まで、9回、9年間つづいた、この賞から、今まで見たこともない新たなるSF批評の新人たちが、簇生した姿は(特別賞などまで含めると、総勢15名にのぼり、また、最終候補となった中からも活躍している人もいると聞きます)、まさしく、いまだかつて日本SF界が経験しえなかった素晴らしいランドスケープでした。

確かに、日本SF界には、過去に優れた批評家はいました。
しかしながら、それは、1世代に一人か二人、といった感じでした。第1世代からは、石川喬司氏、山野浩一氏、第2世代からは川又千秋氏、(少し距離と時差はあるので第3世代かも知れませんが)笠井潔氏、第3世代からは巽孝之氏、中島梓氏、といった印象で、個々に孤立した営為として、それぞれ独自の批評世界を創り上げておられた。

とにかく、SFM2月号事件に淵源するように、日本SF界では、本格的な批評が、「不当に」少なかったのです。それでも、80年代に、米国でアカデミックな体系を背景に、折から巻き起こったサイバーパンクの運動の「現認報告者」として名を馳せた巽氏や、独学で、世間の大学教授よりも遙かに該博な知識体系を身に着けて、SF界というよりも思想界に新進気鋭の批評家として躍り出た笠井氏などは、当時、われわれの目には、非常に斬新に映ったものです。しかし、それでもなお、彼らは「孤独」だったのです。互いに交流していらしたのは確かですが、圧倒的に数が少なかった。これは、否めない事実です。

今のように、10人を超える多勢の新人批評家たちが、しかも、独自に異なる思想背景や、多彩なる専攻ジャンルをもって、輩出し、活躍するなど、まず未踏の世界だった。
最終候補者まで含めた詳細は、下記サイトに記載が有りますので、ご覧ください。壮観です。
http://prizesworld.com/prizes/sf/nsfh.htm
われわれは、そういう意味では、目下、空前絶後の幸福な世界にいるのかも知れない。そう思わせる、それは光景だったのです。

その一助をなしたのが、SPJサイトでした。
むろん、ほぼ同時期、独自に「限界研」を立ち上げて、そうした新人批評家たちに、大きな仕事を次々にまかせて急激な促成をなした、オルガナイザー・笠井潔氏の存在を忘れてはならないにせよ、なんといっても、生まれたばかりの新人批評家たちに、論争の場を与えて、そこで積極的に発言し、互いに切磋琢磨させたことは、おそらく、彼らを急速に生長させた、と思われます。すなわち、SPJなくしては、現在の彼ら、若き批評家たちが、今日あることは無かったでしょう。

その意味では、荒巻老師と増田氏の存在は極めて大きい。
そこで、ネット某所にて、老師から、打診を受けた当方は、ためらいながらも(実際の作業に入ったら、他のことが出来なくなるのは判っていましたので)、手を上げさせてもらった次第です。本来「当事者」ではない自分が、すこしでも、老師たちの成し遂げた営為に、一助となれば、という思いで、その要請に応えたのです。

結果的には、(まだ途上ながら)自分でも、やってよかった、と思います。
なんといっても、若い世代の言説が、めっぽう面白い(笑)! これは、今まで、傍観者としてSPJを漫然と眺めていた当方にとって、その論考の一つひとつまで、熟読する、という得がたい機会でした。むしろ、こうした作業をするチャンスを与えて下さったことで、当方は老師と増田氏に深い感謝と畏敬の念をいだかざるをえなかった。それほど、やっていて楽しく、有意義な仕事でした。

荒巻老師、そして増田氏には、深甚なる感謝の意を表したいと思います。
本当に、ありがとうございました。

そしてまた、すこし個人的なことですが、この拙い仕事を、山野浩一氏の霊前に献げたいと思います。
日本SF批評界は、山野さんが論争し、NW-SFにて育成した人々によって、その支援を受けて、今、いまだかつてない豊饒に賑わっております。
どうか、安らかに、お眠りください。

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