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2013年3月

2013年3月 8日 (金)

杉山恵一氏追悼「ドンブラコンルポ」掲載

Filed under: 寄稿, 追悼文, イベント - 高槻 真樹 @ 2:10:21

 杉山恵一氏は、静岡大名誉教授にして環境運動家。日本に「ビオトープ」という言葉を紹介した人物でもある。だがそんな杉山氏には、ほとんどSFといっていい幻想的な前衛小説家としての顔もあった。

一昨年の第50回日本SF大会「ドンブラコンL」に地元静岡の作家として颯爽と登場、その独創的な作風でSF界を騒然とさせた。その後『しずおかSF 異次元への扉』でも紹介され、ますます関心を高めている。

そんな中、昨年末、杉山氏が他界されたことを報告しなければならないことは痛恨の極みである。まさしくこれから、というところだったのに……だが、私たちの前には、たくさんの知られざる作品がある。ここに紹介するのもその一本で、ドンブラコン参加直後に書かれ、静岡の文芸同人誌「エプシロン」に掲載された「SF大会参加ルポ」である。ルポであるのにまるでSF小説のような手触り。これほどの書き手がもういないことに無念の思いを禁じえないが、ここに紹介することで、杉山氏追悼に替えさせていただきたい。転載をご快諾くださった美智子夫人、およびエプシロン主宰者の上野重光氏、本稿の意義にご理解をいただいたドンブラコンL実行委員長の池田武氏に感謝いたします。(高槻 真樹)

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SF全国大会探訪(7IX11)

杉山恵一

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昨年(2010)の秋、異界からの声が頭上に聞こえ、「汝静岡のSF作家よ、SF全国大会に来たれよ」と告げたのであった。

というのは真っ赤なウソで、事実は次のようなことである。ここに高槻真樹氏という若きSF(サイエンス・フィクション)評論家がおられて、2011年度のSF全国大会なるものを静岡グランシップで開催するに当たっての責任者の一人を務められることになった。その関係で静岡県下のSF作家、および静岡を舞台・題材としたSF作品あるいはSF的作品を探索していたのであるが、その触手に私の作品が感知されたということであった。その作品とは1984年の文芸静岡50号に掲載された「黒目のワルツ」という超短編であった。評論家というものの探索力には驚かされたが、生物分類学者である私が専門分野の生物の新種や珍種を探し当てる能力になぞらえて理解することができる。なおSFの全国大会は毎年どこかの都市で開かれ、静岡で開かれる2011年の大会は、50回目という記念すべき大会であるということであった。大会は9月3~4日に開催されることになっていた。

高槻氏とのコンタクトは、氏が藤枝文学館に私の連絡先を問い合わせたことに端を発している。文学館の事務の女性から、そのひとに住所・電話番号を教えて良いだろうかと訊いてきたのであるが、私の方はがぜん緊張した。なぜならば、これまで私の作品に強い関心を示してくれたひとびとの中には、なにやら普通でない人物が少なからずあったからである。私自身はご承知のようにきわめて常識的な人間であるが、私の作品からはどうやら沼地の住人を呼び覚ます波長が発せられるらしく、そのような人びととの対応には苦慮させられた経験があった。これは先手を打つに限る、と判断した私は文学館事務から教えられた相手の電話番号に電話をした。電話に出た相手はハキハキした話しぶりで妖しい雰囲気ではなく胸をなで下ろしたのであるが、その話の内容はやはり驚くべきものであった。それは、「黒目のワルツ」はまぎれもなくSF作品であり、それを書いたわたしはまぎれもなくSF作家である。だから翌年静岡グランシップで開催されるSFの全国大会に地元作家ということで招待したい、というものであった。

その後のやりとりはすべてメールということになったが、漱石をめざしてがんばってきた私にとって、SF作家として評価されるということは、なにやらトカゲに脇腹を舐められるような感じではあった。しかし高槻氏とひんぱんにメールのやりとりをしている間に、しだいにこの大会に対するプラスの認識が深まっていったのである。そのひとつはこのSF大会なるものが好い加減な組織ではなく、1962年という早い時期に筒井康隆氏などをメンバーとして発足し、すでに49回の全国大会を踏み行っているという信用の問題であり、さらにもうひとつのこととして、永年念頭にあった疑問、若手の書き手たちは今どこでどうしているのかという疑問を解く鍵に触れることができるかもしれないという期待であった。

私は1970年代から「文芸静岡」を機関誌とする「静岡県文学連盟」(県文連)という集団に所属し、いちおうは明治以来の文芸の本流とおぼしき純文学の書き手たちの間に身を置いてきた。もちろん本誌もその系統のものである。これまで、自分の作品はどうもいわゆる純文学らしくないところがあるとは思っていたが、SF作品であるなどとは夢にも思っていなかった。ガルシア・マルケスの作品が純文学なら自分の作品も純文学であるとの確信を抱いていたというわけである。ただし、今読み返してみると、同人のなかでは変わり種であったかなという感じはある。
それで、そのようないわば伝統的文芸集団であるが、その悩みの種は後継者たるべき世代の参加がさっぱりないままに年々高齢化しつつあるということである。県文連の平均年齢もおそらく70才になんなんとしているのである。だから、たまたま50代の参加者があったりすると(若手がきた)とざわめき立つというわけである。それで、ときおりその仲間内で、
(いまどきの若者は文学に興味がないのだろうか)
という疑問について話し合うこともあった。しかし、はかばかしい解答は得られないのが常であった。それが、高槻氏の話によれば、毎年のSF全国大会には1000人を越す参加者があるということであり、もっと後になって知ったことだと、その参加費はじつに2万円であるということで、その隆盛に驚くとともに、
(なるほど、若者達はここにいたのか)
という感慨を覚えたのである。この辺から、このSF大会に参加することの積極的な気分が生じたことになる。

そのうち、大会の実行委員会から大会準備の進行を示す冊子が送られて来るようになったのであるが、それによると、SF大会と銘打つものの、その内容はマンガ、アニメ、コスプレ、プラモデルなど最近世界に進出しつつある、わが国サブカルチャーのすべてを含むものであるということが分かって、ますます興味がふくらむのを覚えたのである。
実は私も最近わが国の、すでにサブカルチャーの領域を越えつつある新しい文化の潮流には深い関心を抱き、それなりの勉強はしていたのである。それは、われわれの世代を中核とする世代が構築した、ものつくりを主体とした産業国家日本が、近年周辺の国々の追い上げによって衰退をやむなくされつつあり、ものつくりに代わる国家プレゼンスの手段の模索の中で、この文化的思潮と表現をグローバルに押し出していこうという、いわば国家戦略が成立したのであるが、そのことに関心を寄せていたからである。私などのような戦前・戦中に生を受けた民族主義派にとって国家戦略という感じのことには特別な関心がもたれるのである。それでその向きの書籍などを読みあさっていたのであるが、その実態に触れることはあまりなかったのである。それが、この大会によって向こうから来てくれることになったことは、大きなチャンスであると考えられた。ともかく、参加費の大枚二万円を出して、全国から千人以上の人間が参集するということはただ事ではない。われわれ旧(純)文学に身を置くものはこの大きなギャップの彼方の、エネルギーに満ちた動向におおいに関心を抱くべきである、と私は考えたのである。

高槻氏の静岡県にかかわるSF作品、SF作家の探索はその間にもたゆまなく続けられ、その成果は、大会関係のブログにつぎつぎ掲載されていったのであるが、まず驚かされたことは、その作品の数の膨大であることであった。もっとも、ごく部分的に静岡に触れたものが大部分であることも事実である。また、SFと認定する作品の範囲もきわめて広く、たとえば「かぐやひめ」伝説もSFと認定するといったことである。ご承知のように、かぐや姫の出生地は富士市とされているのである。その中で注目されたのは、藤枝静男の「田紳有楽」、吉田知子の「無明長夜」など県在住の著名作家の作品がSF(的)としてリストアップされていたことである。このことにはある戦略が隠されていることを感じたのであるが、そのことについては後で述べることにする。

高槻氏とのやりとりが始まったのは2010年秋のことだったが、翌2011年はわが国にとってきわめて多難な年になった。ご存じ東日本大震災とそれにともなう前代未聞の大津波、かてて加えての原発事故がそれである。私が役員を務める団体もその後始末にかかわったこともあって、3,4ヶ月はSFのことは忘れていたのであるが、夏も終わりに近づくにつれ大会へ向け手の動きがあわただしくなっていった。
そこで9月3日の当日であるが、その数日前から台風12号なるものが太平洋を本州に向けてゆっくり、真一文字に接近しつつあった、実はこの台風によって紀伊半島はこれまた前代未聞の出水被害を受けることになるのであるが、それが分かるのは大会終了後のことで、当日は台風の余波で風雨が強いといった程度であった。
会場へは10時頃に着いたのであるが、全館貸し切りのグランシップの内部はただならぬうごめきに満ちていた。それは、われわれ世代にはいろいろと濃すぎてプレッシャーになる鳥山 明のマンガの雰囲気といったらよいだろうか。そして、ごった返すこの館内で例のケータイの恩恵によって高槻氏と初めて対面することができた。予想していたように敏感さを秘めた好青年であった。
私の出演は13時からの、「杉山教授の奇妙な冒険~ビオトープから奇想小説まで~」というおどろおどろしいタイトルの対談で、高槻氏の司会でSF評論家の北原尚彦氏との3人で行われた。北原氏とも会場での初対面であった。参加者は50人ほどの会場に30人ほどであった。その内容については別の機会にゆずるとして、ホントかウソかまずまずの出来であった、というのが高槻氏の感想であった。

それでは改めて、あの巨大なグランシップを借り切ってのこの大会がどんなものであったかを簡単に説明することにしよう。ただし、私にとってこの様なイベントはヘソの緒切ってのことであり、頭の固い老人のことであるからして、とうてい十分なものではなく、ざっとした説明にすぎないことご承知おき願いたい。
まず、メインの内容をもつ有料エリアは九階の10部屋、十階の7部屋、そして、私の対談がおこなわれた十一階のひと部屋の合計18部屋で、3日に50、4日に42、合計92の催しがもたれた。そして、一、二、三および六階が無料の一般公開の場として用いられ、ここで、3日に13、4日に14の催しがあった。開会式、星雲賞の授与式もこのエリアで行われた。特筆すべきことは、開会式のおり、最近七月に物故されたSF作家の重鎮、小松左京氏の追悼がおこなわれたことである。

これらのスペースでどのような催しがあったのかということであるが、あまりに多様で総説することは難しい。しかし、おおよその分類として、ロボット・プラモデル系、アニメ・マンガ系、コスプレ系、SF文芸系、その他ということになるが、何とも分類困難なその他が数としてはもっとも多数となる。
ロボット・プラモデル系はその性格上視覚的な大勢を占めるものであった。初めての入場者にはこの種のもののみの催しかと受け取られるかも知れない。表現としても映画、プラモデル展示に加えて、一階の大ホールでは「ホビーロボット コロッセオ」の看板を掲げての、リモコンによるロボットの格闘競技がおこなわれ、子どもたちの人気を呼んでいた。このほか、プログラム所載のタイトルのみで示すと、「ロボット幼年期の終わり」、「攻殻機動隊S.A.C SSS 3D映像シアター」、「ハセガワプラモの部屋」、「タミヤボックスアートの系譜」、『「ロボットと美術」展の裏側』その他、ということになろうか。タミヤ、ハセガワは静岡県に本拠をおくプラモデル企業である。今回静岡でこの大会が開かれたことの理由のひとつにこのことがあるとおもわれる。
アニメ・マンガ系は、タイトルから把握されるところでは、「辻真先さんと体験するSFアニメの半世紀」、「SFアニメ2010年代の展望」、「アニメぐだぐだ企画」、「とっても大好き!藤子・F・不二雄の世界」などであった。
コスプレ系は「コスプレ小谷杯2011」でコンテストが行われたようであるが、一般の会場ではときおり熱帯魚のような服装の女性がちらつく程度であった。代々木公園でのような奇抜プラス豪華なものには私は出会わなかった。
最後にSF文芸系であるが、これはその本質上視覚的には地味な分野である。「SF創作講座」、「机上理論学会発表会」、「ライトノベル2011」「表現と法規制に関するミニシンポ」、「翻訳家パネル」、「電子出版とこれからの出版社」などがそれに該当するであろう。私の「杉山教授の奇妙な冒険」もこの中にふくまれる。

このように盛りだくさんなイベントであったのだが、私はその大部分に参加あるいは見学することができなかった。なぜかというと、六階に設けられた展示ギャラリーに自著の販売ブースを与えられていて、その店番に終始していたからである。
展示場は広いホールに設けられ、一区画は長さ1.8メートル、巾30センチの長机が与えられ、そのようなブースが50ほどあった。それぞれの商品は雑多で、ミニチュアのたぐいが目についたが、私などには意味不明のものも多かった。自著を売るということは早い段階で高槻氏から勧められていたのであるが、私は大いに関心を抱いていた。いままで10種を越える著書を出版していたが、売れたのは具体的事実を扱った、たとえば「南アルプス探検」であるとか、「藤枝物語」のようなものだけで、たいへん空想度の高い、つまりSF的なもの、言語実験的なものが売れたためしがなかったからである。先の対談で、パネリストをつとめていただいた高槻、北原の両評論家がだいぶん持ち上げてくれたことで、期待して待機していたところ、次々に買い手があらわれて、2日間で無慮20数冊が売れたのである。このままシロアリの餌食となるかとあきらめていた本だけに、その感激は大きかった。

翌四日も台風余波の雨はつづき、紀伊半島の被害状況も報道され始めていたが、幸い静岡の被害は軽微で、大会はつつがなく17時をもって終了した。 最後に少々資料的なことに触れておくことにする。
この集会の主体である組織の正式名称は「日本SFファングループ連合会義」という。その規約第三条には会議の目的として、
「日本SFファンダムを構成するグループ間の交流と共同を円滑にし、日本SFファンダムの活動を促進することを目的とする」
とある。そして、その運営は各加入グループから送られる一名の代表からなる「協議会」によるとされる。その具体的な事業としては、毎年各地で開催される「日本SF大会」の準備・運営と、そこで授与される「星雲賞」の決定が主なものであるようである。
このことからも分かるように、この大会の枠組みはきわめてゆるやかなもので、自らのグループなり組織の活動内容がSF的と考えた任意の団体によるパフォーマンスの総体であるとしてよい。一種お花見的な催しであるが、既存の組織では受け皿の役を果たし得ない、新たな芽生えともいえるもののよりどころとして果たした役割は評価すべきであろう。宇宙空間に散在する小物体が集合して星雲を形成するようなもので、この大会で授与される「星雲賞」の名称は卓抜である。そして巧まざる結果として獲得したエネルギーは膨大なものである。旧文化に所属する諸団体は、そのかたくな姿勢によってそれを導入しえなかった、ということであろう。
この組織のもう一つの特色は、海外の先行するSF文化との同調である。欧米とりわけアメリカにおけるSF文芸の歴史は古く、その作品コンテストの第一回が早くも早くも1938年にニューヨークで開催されている。その後第二次大戦で5年の空白があるが、それ以後は毎年開かれ、本年(2011)もネバダ州で開かれている。「日本SF大会」でも 毎年海外作品に対して短編、長編各1作に対して星雲賞」が授与されている。今回の大会のプログラム冊子にも、外国の受賞者の謝辞(英文)が掲載されていた。

さて、以上がわたしの静岡SF報告であるが、このようにエネルギーに満ちた「敵」の状況からすると、われわれ「純文学」系はとうてい太刀打ちできず、高齢化とともに淋しく消えてゆく運命にあるのであろうか。耐え難く哀しいことといわねばならない。しかし一方、「敵」は必ずしも無敵ではない、それなりの弱味を抱えているというのが「純文学」派を自認する私に、直接の興奮が覚めた段階で醸成された感想である。エプシロン同人・読者のためにそのあたりのことを、希望的観測をふくめて申し述べることにしよう。

まず、当初私が予想した、うらやむべき「若者」達の集合する場という点であるが、この大会に集合した人びとをつぶさに観察した私の結論としては、そこに参集した人びとは予想していたほどには若くはないということがある。平均したならば30代後半、もしかしたら40の大台に乗っているかも知れない。すでに絶対的には若者とはいえないのである。このことから、この集団にもわれわれと同じ悩み、高齢化の悩みが微かに兆し始めているのではないか、という感じを私は抱いたのである。そういえば、入場後しばらくは渦巻くエネルギー以外には感じなかった会場の雰囲気に、ある自足の気配が感じられるようになったのである。自足はたやすく沈滞に結びつく心的傾向である。そこで、ある定点に位置して観察を始めたのであるが、それはプラモデルを販売するブースを眺められる位置であった。人気のスポットであるらしく、絶えず人の足をとどめていたのである。プラモデルをつくづく眺め、また手に取るのは多く青年晩期の人びとであったが、その目にある種内向きの感慨が宿されているのを私は見逃さなかった。それは幸せに満ちた自らの幼・少年期を懐かしむ気配にほかならなかった。

それと同じような場面を、私はまったく異なる場で経験したことがある。それは毎年九月の秋分の日を期して東京はサンケイホールで開催される昆虫標本のバザールにおいてである。広い会場に設けられた100以上のブースの各々に、昆虫少年の慣れの果てといった人物が陣取って、内外の昆虫の標本を販売するのであるが、押しかけた人びとの大多数の年齢は明らかに60才以上である。つまり終戦後の、まだプラモデルなど見たこともない時代を、昆虫少年として過ごし、自然の思い出をはち切れんばかりにつめこんだ人びとである。老いたる昆虫少年である私は、そこで毎年同じ顔ぶれの昆虫老人達、「夏の森」からさまよい出たような連中と挨拶を交わすことになるのである。
どうやら人間、とりわけ男性は、感受性に富んだ一時期に心に刻んだ世界から一生離れることのできない生きものであるらしい。このSF集団を支える人びとの人格の基盤を形成する幼少時期を想像すると、鉄人28号、ウルトラマンなど登場の時期をすでにはるか後にした、怪獣、怪人、恐竜、そして宇宙、宇宙人、などが大活躍をするマンガ、アニメの最盛期である。つまりわれわれ世代の多くが自然物、自然界そのものを人格構造に組み込んでいるのと同じように、この年代の人びとは今述べた超自然的な存在と一体化した人格を所有していると思われるのである。現在のSF界はこの様な心性の人びとによって支えられているのである。そして、その時代と同様なマンガ、アニメはさらに進化・発展をとげて現在に達しているようにも思えるのだが、私は何かが微妙に変化しつつあるように思える。それについては後で触れることにしよう。

それともう一つ、この大会を総体として眺めたとき、中核として存在するSF文芸とそれ以外の要素との関連性というものが、やや必然性に欠けるような気がした。もちろん、お花見、カーニバル的な催しであるからして、雑多であることに意味があるとは考えられるのである。むしろ私が感じたのは、逆に真の雑多性が欠けているという感じに近いものであった。
この催しの歴史をたどると、東京・目黒1962年に持たれた第一回大会にゆきつくことになる。私が大学を卒業した年で、60年安保の記憶も生々しいころである。参加者180人とあるから大会と名のるのもおこがましいといった感じである。この頃は作家としては小松左京などが知られるのみで、筒井康隆が頭を出したばかりといった状況であったと思われる。その筒井氏が実行委員長をつとめた第3回(1964)の大会の参加者が150人ということでも、そのころの氏の知名度が知られる。この頃会を運営するのは、地味な研究グループであったと想像される。しかし、アメリカでは先に述べたように、すでにSF大会20回という歴史を経ており、相当数の作品も発表されていたであろうから、そのようなものを熱心に研究していた状況が想像される。参加者が常に1000人の大台を越えるようになるのは1980年代になってからで、このころから、若者文化、サブカルチャーとしてのマンガ・アニメが隆盛を迎える。このあたりから同時代性をよりどころとして、それらのすべてがこの大会に寄り集まったと思われる。小惑星が寄り集まって火球を生じたような具合に、現在に見るような巨大なエネルギーを生じたのであろう。それは、自然にそうなったというのではなく、運営者側の意識・無意識での作戦、古代ローマが周囲の民族に市民権を与えることによって巨大化したような「作戦」があったのではないだろうか、と想像される。そして、この巧妙な作戦は現在も受け継がれているように思われる。先に述べた、藤枝静男、吉田知子など純文学の作家の作品を、SF的ということで取り込もうとしていることは、純粋SF作品にはどうしても二の次ぎにならざるをえない内面性というものを、自家薬籠のものにしようという作戦であると考えることもできる。しかし、このような、いわば無原則の拡大が、発足当時のような純粋なSF文学路線の成長に果してプラスに働くのかどうかは、予断を許さないところである。

このようなカーニバル的な大会では、SF文芸の存在感は希薄にならざるをえないのであるが、もともとの根幹である、その現状はどうなっているのであろうか。これは大会報告の枠をこえるものであり、おびただしい数の作品を読まなければ正鵠を射た評価は難しいのであるが、私のこれまでに触れたわずかの作品と、大幅に想像、それも旧文学に有利な希望的観測を交えて最小限のところを述べることにする。
まず想像されることは、この分野では、発足時の伝統を踏まえた研究活動が継続されているということである。それは先に述べたいくつかの集会の名称にもその片鱗を見ることができるのであるが、定期的な事業として、SF評論賞というものも毎年出されているようである。ちなみに高槻氏も近年の受賞者のひとりである。氏の外国SF作品やその著者に対する知識・見識は高いもので、そのことからもSF文学界が決してカーニバル的イベントに終始しているわけではないことが知られるのである。
私のSF文芸に対する認識は非常に浅いもので、海野十三に始まり、小松左京に終るといった程度のものであるが、外国のSF作品をベースにしたであろう映画、たとえば「猿の惑星」や「スターウォーズ」、「ハリーポッター」などは、時にテレビなどで瞥見することで、どんなものであるかを概観することはできたのである。しかし、それらは今のところみないわゆる娯楽作品であって、この様なものを含めての評論活動も表面的な、技術論に終始するものであると想像されるのである。ところが、最近それとは別の方向性をもった現象、言うなればすべての芸術の分野への、従来はSFに固有の要素とされてきたものの拡散という現象である。そのような事は当然純文学の範疇に属するものにも言えることである。つまり、SF文芸と旧あるいは純文芸との境界が不明瞭になってきたのである。このことはおそらく、SF研究界にとってやっかいなことであると同時に新たな発展のきっかけともなるのではないかと考えられるのである。つまり従来の純粋に「空想科学小説」としてのSFに当然のことのように欠如してきた、人間の内面のいとなみといった要素を加味する条件が生じたということにほかならない。先に述べたように、SF評論界では、SF的要素の強い純文学作品を吸収する作戦を決定したようである。今後はSF界内部からの純文学的SF作品の誕生が待たれるというものである。

ところで最後の付け足しとして、少々今大会のことを離れ、もう少し広い視野からSFその他を含む現今の文化事情を考えてみることにしよう。わが国の若者文化、マンガ・アニメ、その派生要素としてのファッション、コスプレなどは、いまやサブカルチャーの域を脱して、グローバルな文化になりつつあるようである。じつは私も偶然その渦の中心を垣間見たことがある。それは東京ビッグサイトにいったときのことである。おびただしい数の少女達が同じ方向に歩いていた。その異様な雰囲気に、私もその流れに巻き込まれるようなかたちで進み、やがて巨大なホールにたどり着くと、そこにはそれこそ何百というブースがもうけられ、何千という数の主に少女達が夢見るような目つきで周遊しているのであった。各ブースにはそれぞれマンガ作家の卵やひな鳥たちが陣取って、自作の展示・販売をしているのであった。つまり、ここはマンガ文化の渦の中心であったのである。その規模と熱気に私は圧倒されたのである。
これと同じような年齢層の少女達の集合する場所として原宿駅を中心とした地域が有名である。私はその横町のマンションにお堅い環境関係のNPOの事務所があるので、時に訪れるのであるが、ここに展開するすべてが私などには異様で不可解である。とりわけ、この近くの代々木公園などで演じられるコスプレと称するものは理解の範囲を超えるものであった。しかし、ここでも私は本物のすごみを感じることができた。それはある日、10人ほどの欧米系のコスプレ少女達の一団に、原宿の陸橋の上でであった時のことである。私は、その扮装の豪華さ、そして何よりもその少女たちの、確信に満ちた倨傲ともいうべき眼差しに圧倒されたのである。たんなる仮装行列ではないなにかを私は感じることができたのである。このような私など古物には想像を絶する文化こそ、プラモデル時代のつぎに位置することになるのであろうと思われるのである。今回の静岡大会でもマンガはそれなりに扱われ、コスプレも演じられたのであるが、それはたんにそれらとの同時代性を誇示する程度のものにすぎなかった。

それで、このような異様な文化の意味・意義についてであるが、このまま引き下がるのも悔しいので、多少の解釈を述べてみたい。残念ながら感覚的にはとうてい理解できかねるので、私自身の専門である生物学的な切り口でひと理屈こねてみることにする。
そもそもマンガ文化というものは子ども向けのものである。しかし、子どもといっても実際には五歳から十五歳くらいまでのあいだにいくつかの層が存在するのである。欧米文化圏では、ルネッサンス以後のある時期に「子ども」の発見があり、それ以後子ども向きの様々な文化、たとえば絵本、人形、おもちゃなどがかなり意識的に生み出されてきた。わが国での伝統文化の中でも、これと平行した流れは存在していたのであるが、戦後と呼ばれるこの数十年にわが国で発達したマンガは、絵本などが限定的な年齢層のもので、ある時期で卒業すべきものであったのに対して、もっと幅広い年齢層、言うなれば子どもから大人までの連続した年齢層をカバーする内容をもつものであったと思われる。マンガをそのように進化させた功労者としては、やはり手塚治虫を挙げなければならないが、マンガと並行的に発達したいわゆる劇画の補完的役割も大きいと考えられる。このような絵解き童話から絵解き小説に発展したマンガが、文学に先んじてグローバル化し得た要因は、誘致年齢層の連続的延長だけではなく、何よりもその言語を越えた絵解き要素があったと考えられる。しかしマンガ文化の拡大要因、たとえば一般女性にまで拡大されファッション革命を起こした要因は、決してそれだけではないと考えられる。その第二の要因と考えられることこそ、きわめて生物学的なものとなるのである。

生物の個体というものはその意識のいかんに関わらず、種の存続、つまりより多くの子孫を残すべく規制されている。そして、現存の個体群が滅亡の危機に向かう事態が生じる場合、とりわけこの規制が強化される。われわれ人間の場合、貧困・飢餓は生命の危機の一現象であるが、そのような場合、むしろ繁殖衝動は強化される。つまり、「貧乏人の子だくさん」の現象である。植物ではミカンなどが、枯死する前に以上に多くの実を付けることが知られている。
現在先進国といわれる国々は、別の言葉でいえば裕福な国々である。それは個人個人にとってきわめて安全な環境を意味する。栄養についてもじゅうぶんをすぎて肥満が問題になるほどである。この様な生活条件下で、雌雄の個体はDNAに組み込まれた信号によって、繁殖衝動を低下させられることになる。そのことはわが国にあっては、男性の「草食動物化」と呼ばれる現象、つまり性的衝動の低下現象を生んでいるのであるが、女性の場合には性的未成熟をしめす記号を発信することでその対応をなしているのである。それは具体的にはいわゆる「かわいい」という印象の発信である。最近の少女達の服装をみると、その一見のけばけばしさにもかかわらず、あきらかに「繁殖拒否」の記号がふくまれているのである。
さらにもう一つの生物学的要素として考えられるのは、同じく先進富裕国における平均寿命の大幅な延長である。このことによって、比例的に各年齢層が延長されたという事実がある。それは従来ごくわずかな時間差でつながっていた子どもと大人の間に、どちらにも属さない新たな年代が相当の巾を持った層として出現し、その過ごし方にどの國でも困惑していたという事実があるのではないか。そのことは、老後時代にも当てはまることであるが、子どもと大人の中間時代に関しては、大昔から子供的要素を温存してきた社会をもつわれわれ日本が、世界に先駆けてそれに対応する文化を提示したのであると考えてよい。
わが国は、現在社会の退行的進化ともいえる現象に関して最先端をいっていると思われるのであるが、とりわけこの繁殖拒否文化の先進性はそのグローバル化の主要な要因であるように思われる。私は一応環境問題の専門家とされているのであるが、いわゆる地球環境の危機を生み出した要因として最大のものは地球人口の増加であると考えている。だから、この様な人口減少に連なるような文化の一般化に対しては、いまのべたような理屈によって、肯定的な感覚的理解の代用とすることができるのである。

最後は静岡SF大会から大幅に脱線してしまったが、これをもって純文学の砦、エプシロンの同人、読者への報告としたい。それでは、やはりわれわれの伝統的文学はこのまま消滅するのかという嘆きに対しては、次のようにお答えしておきたい。なるほど現在はSF文芸が純文学に取って替わる勢いをしめしつつある。そして、それもまた遠からずして、さらに新しい文芸に取って代られるであろう。しかしその先に私が予想するのは、その理由をここで詳しく述べる余裕はないのだが、数十年後における、永遠の存在であり、万物の母胎である自然を基盤とした古くて新しい文化と文芸の復活、つまりはわれわれが立てこもる伝統的文学に本質的にはきわめて接近したものの復活である。そして、われわれがその「文芸復興」に参加できる可能性がないわけでは決してない。それはそれまでの長寿を保つことに他ならない。がんばりましょう、皆さん。最後の栄光を頭上に頂くために!

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