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2012年8月 8日 (水)

バラード架空インタビュー

Filed under: 海外交流, インタビュー, 文庫解説 - 岡和田晃 @ 16:32:27

 J・G・バラードの『夢幻会社』(1979年)は、まさしくバラードの転回点とも言うべき中期の代表的傑作ですが、1981年にサンリオSF文庫から最初の日本語版が刊行されました。その訳業には、いま読んでもなお読み手を瞠目させる表現が多々用いられており、日本語文学としても、ひとつの完成を見ているとしても過言ではないでしょう。
 当時、増田まもる氏は32歳。大江健三郎が『万延元年のフットボール』を、中上健次が『枯木灘』を書いた年齢で、増田まもるは『夢幻会社』の完訳を為したというわけです。その雰囲気をわずかでも知っていただくため、ご本人の許可を得て、サンリオSF文庫版『夢幻会社』の巻末に収められた「架空インタビュー」を再録させていただきました。
 お読みになった方は、古書肆をあたって、サンリオSF文庫版『夢幻会社』の現物を入手し、実際の「危険な」訳文に触れてみてください。
 なお、増田まもる氏の翻訳リスト(2011年時点)を、下記リンク先にて無料ダウンロードすることが可能です。(http://issuu.com/yurikamiyano/docs)。(岡和田晃)

架空インタビュー
J・G・バラード
聞き手:増田まもる

――この作品は、あなたのこれまでの全作品を統合したうえに、新たな局面が展開されている画期的な作品だと思います。とりわけ、これまで内意識の奥底へ沈潜していくという、精神病理学的なイマジネーションが、現実を超えていく壮大なイマジネーションの飛翔に転嫁したところに、この作品の重要性があると思います。「終着の浜辺」で内宇宙の終末をみいだし、「ウェーク島へ飛ぶわが夢」のなかで終末を抱きつつ失われた夢に執着していたあなたが、いかにしてこの転換をなしとげたのか、おおいに興味あるところですが。

バラード そこにはいくつかの要素があるのだが、なかでも夢の全能性への信頼を回復したことが最も重要なことだろう。「終着の浜辺」で内宇宙の窮極に存在するものが現実にほかならぬことを発見したわたしは、それ以後、この現実と呼ばれるものの姿をさまざまに描きつつ、その虚構性をあばくことに努めてきたそれは同時に内意識の虚構性をあばく作業でもあり、その虚構をつきぬけたむこうに、超虚構的な、一切の心のメカニズムから解放された夢の自由を獲得したわけだ。

――シュールレアリズムの限界を突破したわけですね。

バラード シュールレアリズムとは、最終目標には決して到達しない一つの運動であるとわたしは考えている。夢の自由と昂揚は、一切の既成の事実を超えて幻想を絶えず超虚構化していく過程のうちにしか存在しないのだ。従って限界を突破したという表現は正確ではない。硬直化した既成のシュールレアリズムを打ち破って、新たな局面へ展開させたと言うべきだろう。なぜなら、おのれの全能性を過信したブレイクは破滅しなければならなかったのだ。「ヒューブリス」ゆえに破滅に導かれたのだ。

――「ヒューブリス」とは何ですか。

バラード 「ヒューブリス」とは、ギリシャ語で「傲慢の罪」「慢心の罪」をあらわす言葉だ。だが、この言葉にはそれ以上の意味がこめられている。ある人物が自己の能力を過信して、あたかも全能のごとく振る舞うならば、かれは「ヒューブリス」ゆえに悲劇的破局をむかえる運命にあるのだが、その破滅を生き延びることさえできれば、彼はデモーニックな聖性を獲得することができるのだ。

――この作品のなかでは、浜辺の骨層に眠る化石の夢が主人公の身体を身にまとい、その直後にみずからブレイクと名のりますが、この名前はウィリアム・ブレイクを連想させます。また、殺されて蘇ったブレイクが最後に再び骨層に戻ってゆくとき、かれは「生けるものと死せるもの、生物と無生物の窮極の結婚を見た」わけですが、これもウィリアム・ブレイクの『天国と地獄の結婚』を想起させます。ウィリアム・ブレイクについてはどう考えていますか。

バラード その卓越した想像力と形而上学において、彼はまぎれもない天才であったと思っている。対立し、矛盾する二つのものを彼の内宇宙のなかでひとつに溶け合わせることを生涯のテーマとして、キリスト教的神秘思想を存在論的にとらえ直し、独自の形而上学を展開している。深い洞察と論理性に裏づけられたその圧倒的な情念の奔流は、じつに素晴らしいものがある。ある意味では、わたしがめざすものは彼の生涯のテーマと同じであるということができるだろう。

――この作品では、冒頭の一語をはじめ、天地創造の七日間、ブレイクの死と復活、水のおもてを漂う霊のイメージなど、随所にキリスト教のアレゴリーがみられますね。

バラード 言うまでもないことだが、内宇宙を存在論的に考えるということは、とりわけわたしにとっては、キリスト教的形而上学を考えることと同じ意味を持っている。「結晶世界」をはじめとするわたしの主要な作品のテーマは、ある意味ですべてその考察にあると言ってもよいだろう。この作品の最も重要なテーマもそこにある。ブレイクに第二の生を与えた目に見えぬ力。射殺されたブレイクの復活。これらは形而上学的なキリスト教のメタファーであり、その意味は様々なレベルで読むことができるだろうし、また、そう読まれるべきなのだ。

――以前のNW-SF誌のインタビューのなかで、あなたは現代のセックスが技術主義に支配されはじめており、技術主義によって再生産されていると述べていますが、この作品では、セックスが主人公の幻想を生み出す駆動力をひきおこす力として、メタセックス的にとらえ直されていますね。

バラード わたしはセックスという言葉を全生体的駆動を意味するものとしてとらえている。セックスをそのようにとらえたとき、それは無限の幻想を生みだす豊饒の泉となり、夢と現実、日常と非日常、聖と俗との窮極的結婚の原動力ともなる。われわれの内宇宙でとりおこなわれるこの結婚式こそが、われわれの生命の無限の可能性を約束してくれる祝典ではないだろうか。

――最後になりましたが、以前、松岡正剛氏との対談の席上で、鉱物が見る夢といった観点から描かれた作品を書くことを約束しておられましたが、この作品でみごとに約束を果されましたね。

バラード 彼には良いアイデアを提供してもらった。彼に会う機会があったら礼を言っておいてほしい。

(初出:『夢幻会社』、サンリオSF文庫)

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