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2012年8月 5日 (日)

川又千秋「幻詩狩り」読解新解釈

Filed under: 書評 - 荒巻義雄 @ 15:10:18

                Who is Who May?/フー・メイは誰か
                                荒巻義雄

 2012年7月4日 城西国際大学紀尾井町キャンパス地下ホールを無償で貸していただき、〈日本SF作家クラブ創立50周年〉記念事業の一環としてのキックオフが行われた。このテーマが「日本・SF・翻訳――川又千秋『幻視狩り』英訳を記念して」
 なお英訳題は「Death Sentences」である。
 運営には、(株)イオはじめ、多くの関係者が携わった。
 筆者にも20分の時間が割り当てられが、あまりにも時間が足りず、ここに自説を公開することにした。なお、ブログ〈speculative japan〉にも掲載を予定。

 Ⅰ『幻詩狩り』英訳のきっけ
 きっかけは、巽孝之がアメリカ、コーネル大学留学中、たまたま同大で学んでいた日本女性カズコ・ベアレンツと知り合い、筆者の『柔らかい時計』の英訳を頼んだのがそもそものはじまりであった。その後、彼女が札幌出身だったことから、この後、帰省のたびに筆者と会うことになった。
 一方、巽は日本SFの英訳プロジェクトを試み、筆者以外の作家の翻訳も依頼するようなった。そろそろ書いてもいいと思うが、この際、それなりの翻訳料を支払う必要が生じ、巽の依頼で私が負担したのを覚えている。
 とにかく、私の「柔らかい時計」の翻訳が彼女とSF作家ルイス・シャイナーの共訳になっている理由は、日本語からの直接訳は難しく、カズコ訳が下敷きになっているからである。私の記憶では、確か、山野浩一の作品もそうだが、この「幻詩狩」も彼女の下訳をもとにトマス・ラマール教授が翻訳、ミネソタ大学で出版したものである。
 多分、多くのSF関係者は知らないと思うが、カズコ・ベアレンツの存在がなければ、日本SFの翻訳は進なかったはずだ。従って、彼女は日本SF史の中に記録されてよい存在である。(詳しくは巽英訳本紹介に)
 彼女は巽も在籍していたコーネル大を卒業後、ビジネススクールをも卒業、一時期、ニューヨークで金融関係の仕事に従事していたが、一念発起して西海岸に移りバークリー大学で心理学を学び直した。ここでドクターを得て、現在はテキサス州ラボックの大学で教鞭をとっているが、この秋からニューヨーク州のSUNY(State Univeristy of New York)へ移籍、引きつづき親子関係の研究(大脳生理学的手法で可視化するらしい)をつづけるという。
 こうした窓があると海外の事情がわかるが、日本文壇は言うまでもなく、日本SF界もいまだ21世紀モードのままではないだろうか。
 しかし、世界が急速に21世紀モードに変わりつつある。意外に早く、故小松左京が夢見た文学と科学の融合が、当時は想像もしなかった電子書籍や大脳生理学(脳地図的検査技術の発達)等で実現するのではないだろうか。
 なお、従来の科学のイメージも変わりつつある。原発問題にかかわった専門家と呼ばれる科学者の人格の問題(真実を隠す)の追求も、今まではそれぞれの村に引きこもっていればよかったが、今後は、知識を蓄えた賢い大衆の眼に、政治家と共に曝されるなどの現象が起きるのではないだろうか。これは科学そのものの倫理問題とは別で、科学以前の問題、すなわち人間としての良心の問題である。
 などと考えると、旧来の性善説的科学認識のまま、あるいは鵜呑みにして、SFが科学との融合を目指すのは危険かもしれない。いろんな理由があるが、巨額の研究費のいる現代科学は、国家や巨大企業と結びつかざるをえない。一方、SFの本義は、あくまで自由な立場を維持しつつ、批判精神を維持し、貫くことである。
 こうした自立心を維持すれば、SFは外部から注目されるであろう。20世紀モードは2010年で終わり、いよいよ21世紀モードに入った。SFと先端科学の思考過程は同周波だからだ。

 Ⅱ 開演に先立ち
 開演に先立ち講師陣とスタッフ一同は、城西国際大理事長室に呼ばれ、水田宗子理事長に挨拶、短時間であったが面談の栄に浴した。実はこの大学で小松左京全集が刊行されているのだ。今回、会場を提供されたことにも、深く感謝しなければならない。

 Ⅲ トマス・ラマール教授の「時の渦巻」講演。
 SFM8月号に訳文があるのでそちらを参照されたい。
 筆者が興味を抱いたのは、開演前に主催者から渡されたラマール氏の論文の中に、自由間接法が出てくることだった。これはわれわれ日本人にとっては、大変、不得手。大学でもイタリア語、フランス語などを履修しない限り、学ぶことがない。
 ●直接話法 同上のとき引用符(「」や〝〟)を用いる。
 ●間接話法 文章中において他人の発言を引用するとき、そにままの言い回しで引用することせず、自分の立場に置き換えて書きあらわす方法
 ●自由間接話法 伝達節(……と、言った。)(……と、訊ねた。)を欠いた間接話法を言う。
 A氏が/明日までここにいる。
 このAの発言を、 Bが、あいつ(A)、あのとき、「明日までここにいる」って言ってたよ。[直接話法。(「」がある)]
 Bが、あいつ(A)、あのとき、翌日まであそこにいるって話だったよ。[間接話法。(「」がないが、伝達節はある]

 ラマール教授は自由間接話法の例として、フローベル(1821~1880)の『ボバリー夫人』を挙げる。
 例/彼女はもうピアノを弾かない。なぜ弾かなければならないのか?いったい誰が聞くというのか?
 もはや、作中人物の心情なのか、フローベル自身なのかは区別できない。作者自身が感情移入し、同化しているのだ。
 『幻詩狩り』では、この自由間接話法が多用されていると、ラマール教授は指摘する。
 例/が、そのまま、運ばれていく。
(どこへ?)
 ……分からない。……原戸の面影が彼の目の前に浮かんだ。
 こうした語法的詩的は、わが国ではほとんど行われないので、学ぶべき点であろう。

 Ⅳ 荒巻説では……
 しかし、筆者の読解では、この作品には漫画の技法が使われていると考える。
 『幻詩狩り』の冒頭は、漫画の駒割りあるいは映画の手法ではないだろうか。手塚治虫の手法はデズニーに学んだと言われる。
 ◇冒頭のシーン
 女が――マンションから出てきた。
 坂元は火をつけずにくわえていた煙草を地面に投げ捨て、靴の先で踏みにじった。
 それが合図だった。
 何食わぬ顔の取締官三人が、彼女と入れ違いにマンションに入った。
 それを見届け、坂元はゆっくりと女を尾けて歩きだした。

 何台も設置したカメラの映像を編集したような描き方だから、これは映画であり漫画の手法である。
 川又は視覚型だ。作者は〈眼〉だ。〈眼と化した〉作者だらこそ、作中人物の心理、内面に侵入、同化する。これがラマール教授が指摘した自由間接話法の正体ではないだろうか。

 《付記》実は、ラ教授の指摘しなかった重要な問題がある。
 プルースト(1871~1922)がフローベルの文体を論じているのだ。(「フローベルの文体について」)
 第一文節の中心を受けて、第二文節へ、さらに第一+第二の文節を受けて第三文節へ。
 これが接続詞なしに文を書く秘伝である。
 引用すれば、
 〝①アレクサンドロスの悪徳は彼の美徳と同じく極端だった。②怒ったときの彼はすざましかった。③怒りは彼を残酷にした。〟
 ①の文の中心は悪徳と極端である。これを②で、すざましかった、と承ける。さらに①+②を③で承ける。
 プルーストは言う。〝これらの文章は、一つの文節の中心からほとばしり出たものが半円をえがいて次の文節の真中にかならず落ちてくるように組み立てられており、それによって緊密に弛みなく継続する文体を確保したからであった。〟

 Ⅴ 巽孝之の『幻詩』論
 英訳本の英文序文の訳文「幻詩力一九八四年――シュールレアリスムからポストモダニズムへ」があらかじめ渡されてした。
 本稿読者もなんらかの機会に読めると思うが、巽は論構成をサイバーパンクにおく。
 この見方ははたして正しいか。
 というよりは、サイバーパンクに限定することによって〈それ以外の面〉を見落とす危険性は完全にないだろうか――という疑い。
 『幻詩』をサイバーパンクの系列に置く見方に、ほんとうに原著者川又は納得しているのだろうかという疑念。

 実は、巽論『ジャパノイド宣言』にある「柔らかい時計」論だが、もしこの作品をサイバーパンクえ解釈すると、(サイバーパンク作家)ルイス・シャイナー訳のように、別な作品になってしまう。
 翻訳当時はサイバーパンク全盛であった。原著者も改訳を承認していたので異議申し立てをするつもりはない。第一、作品は時代や地域、読者個人の背景で様々に読めるものだということを証明する一例でもある。
 しかし、一つの読み方だけが唯一として伝わるのはよくない。それでいい機会なので原著者の発言をこの場をかりて載せることにした。
 まず、大きなちがいがある。(まちがいではない)。
 サイバーパンクは情報である。情報はモノではない。従って手では触れられない。
 この〈情報〉と〈モノ〉のちがいは先の原発事故でますます際だってきた。われわれに伝わってくるのは、東電や政府の発表つまり情報でしかなかった。肝心の事故現場には汚染のために近づけない。つまり、〈現場〉が欠落していた。現場にはモノが瓦礫として散乱しているが、実態は不明のままだった。この情況では、情報を独占する側が有利である。隠蔽が可能である。われわれ国民は、東電や政府発表が正しいと信じていたが、欺かれていたのだ。
 余談を戻して、しかし、情報ではなく物質として作中では扱われている〈柔らかい時計〉は、手で触れることができる。
 ①この作品を執筆した当時、考えていたのは物性論(レオロジー)だ。さらに位相幾何学で考えているから、この時計は二つ折りにしてもチクタク動く。シャイナーはここを読み違えた。
 ②実は舞台背景にも手が加えられているが、執筆したときは、まだ火星の映像はなかった。ヴァイキング1号到着は1976年7月。書かれたのは1968年であった。
 原著者にとってこの火星は本物の火星ではなく、ダリの絵の世界なのだ。ダリの方法、偏執狂的理性批判でみたカダケスやポルト・リガドの景色である。
 ③シャイナーの第三の読み違いは日米の文化の差、日本的和解の仕方である。ヴィヴィと祖父の和解を暗に促すために孫を見せる方法は、日本社会ではよく見られる。ほんとうは、祖父を銅像にされては困るのである。

 以上、余談が長くなった。が、これには理由がある。
 『幻詩』はサイバーパンクではなく、実体のあるシュールレアリスムの運動との鏡面像として読むことができるのだ。むろん、幾とおりの読み方があってもいい。

 Ⅵ 笠井傑の『幻詩』論(『詩的言語と例外状態』)
 前出ラマール論文でも触れられた、『幻詩狩り』に登場するカール・シュミットに注目、呪文(ドゥバド)とナチスのプロパガンダを結びつける、笠井氏らしい(SF)政治学的な解釈を行った。
 註、カール・シュミットは、国家における非常事態を意味する例外状態を自己の政治思想の背景に置いた。結果、ナチス法学理論に加担するが、後に追放される。
 つまり、幻詩が社会を例外状態に陥れる。それはナチスのスローガンと同じだということだろう。
 筆者も戦時下を知ってる世代なのでよくわかるが、カリスマ独裁者の言葉は魔力をもつ。幻詩と同じだ。戦時に作られた新語「玉砕」「特攻」などには、なぜか〈死〉が纏い付く。抗しえない魔力を持つのだ。死への賛美。呪文ドゥバドは人の魂を麻痺させる。原理的には同じである。

 Ⅶ 作者川又千秋の見解は省略。(作者は自作について語るべからずということだろうか)

 以上が前置きである。これからが荒巻説だ。すなわち、ダダからシュルレアリスムにいたる時代状況に身をおいて『幻詩』を解析する美術史的見方があるということだ。

 Ⅷ ブルトンの魔術性
 実はブルトンには『魔術的芸術』という解説つき画集があるが、日本での翻訳初版は1997年、11月(巌谷国士監修/河出書房新社)であるので、『幻詩』(中央公論社C★NOVELS)が世に現れた1984年のずっと後である。
 フランス版の初版は、ブルトンが亡命先のアメリカからパリに戻ってから後、1957年である。この稀刊本はフランス図書クラブの会友に向けて企画されたもので、執筆に協力したのはジェラール・ルグランであった。
 おもしろいのは、同年にはグスタフ・ルネ・ホッケが『迷宮としての世界』を世に出す。かたや日本では渋澤龍彦が活躍していた時代であった。(拙作『白き日旅立てば不死』1972年初版の参考文献)
 邦訳の企画は初め人文書院であったが、わが国のシュルレアリスト滝口修造1979年死去、1987年澁澤龍彦も死去して立ち消えになったが、その一〇年後に復活したのである。
 ここで『幻詩』の刊行年1984年と比較しよう。邦訳以前であり、原著は好事家の手で押さえられていたので入手困難であろう。
 とすれば、川又は読んでいないはすなのに、なぜ多くの付合があるのか。
 『幻詩』の中では1943年、ニューヨークでブルトンはパトリック・ワルドベルグが連れてきた幻詩の作者、フー・メイと会う。
 一方、実生活では1940年パリ陥落の翌年、ブルトンらシュルレアリストらはアメリカへ亡命する。帰国は1946年パリに戻る。したがって矛盾はない。
 第二次大戦中、アメリカにいたとき、先の『魔術的芸術』の構想を抱いていたことは、十分、想像できる。
 ほかでもない、作中のフー・メイは魔術師である。
 一方、ブルトンは一般的に考えられているように、フロイトから学んだわけではない。ウィーンまで会いに行ったのは事実だが、会ったあと、「なんだ、あのくそ親爺」くらいの程度で尊敬したわけではない。おそらく都合がいいので利用した程度のことだろう。
 ブルトンはむしろ18世紀半ば英仏に流行した魔術に関心を抱いていた。おそらくこちらが本音だろう。
 シュルレアリスムを、フロイト主義の影響にあったとする考えは止したほうがいい。
 前述の『』をひもとけばわかる。この本では古代からの魔術の実例、中世た近世の魔術、そして最後にシュルレアリスムをおく。
 見出しであるが「ふたたび見出された魔術シュルレアリスム」、つづいてて節題は、「芸術におけるシュルレアリスムとの魔術シュルレアリスムの意識の普遍的な呪文は解かれぬままのこるのだ」など。
 明らかに西欧社会の魔術文化の延長線に、ブルトンはシュルレアリスムを考えていたのである。
 もっとも、フロイトは古代エジプトの神像をたくさん持っていた。とすれば、彼の精神分析は古代精神文化の発掘と似たところがあり、矛盾しないのだ。

 Ⅸ 『幻詩』の呪文「ドゥバド」の出自はダダイズムだ。
 ダダは第一次大戦時にチューリッヒに亡命してきたルーマニア人の詩人トリスタン・ツァラを中心に花開いた。このツアラの『七つのダダ宣言とその周辺』(小海永二+鈴木和成訳/土曜美術社)のなかに、擬音語(オノマトペ)「ヌドゥムバ」「ムバンプー」がある。

 ヌドゥムバには トリトリルーロには ヌコグンルダには
 大きな光輪があって そこを虫たちが黙って行き来する
                    (「アンチピリン氏の最初の天上冒険」)

 聞け 聞けよ 聞け 僕は呑み込む ムバンプー 君の善意を    (「運動」)

 『幻詩』では(中公文庫270ページ)

 魚だ。ドゥバド。その目玉を直角に切り裂け。断面の震え。破裂する水晶玉は血にまみれて映しだす。ドゥバド。茜色に染まった鏡人たちの都。負の圧力が、ドゥバド、そら!おまえを連行する……

 なお、この詩のイメージは、ダリのシュールな短編『アンダルシアの犬』冒頭の雲が月を横切ったとたん女の眼を剃刀が切り裂く、あの衝撃的なシーンを連想させる。

 註 アーシル・ゴーキー
   アルメニア生まれ。1920アメリカ亡命。自殺(火事・癌・自動車事故が重なる)  最初はミロ風。デ・クーニングやS・デービスと交友。
  彼はシュルレアリストから抽象表現主義絵画へ、先駆けになった人。
   1943年ごろから、生物形態的抽象画/バイオモーフィック・プストライション
  彼自身の記憶や恐怖の感情のフィルターで自然界のイメージを。植物や昆虫の変形過 程を追ったデッサンをもとに自然の生成を形象化。ブルトン激賞、自然の前で描くことのできた唯一のシュルレアスト。

 Ⅹ 『幻詩』の背景
 ダダイズムは第一次大戦時、戦火を逃れ、チューリッヒ(スイス)に亡命した芸術家のらんちき騒ぎから生まれた運動で、チューリッヒ・ダダと呼ばれる。中核は前述のダダの理論家ツァラでルーマニアの詩人、アルザス生まれのアルプだった。なお、この名はデタラメに辞書を開いて見付けた幼児語お馬さんに起因すると言われる。
 戦後、彼らがパリに戻り継続したものがパリ・ダダである。
 さらに、ニューヨーク・ダダと呼ばれるものがある。これは1913年から一ヶ月、NYのダイ9歩兵連隊屋内練兵場で行われた〈アーモリー・ショウ〉でヨーロッパのフォーヴィズムやキュビズムが紹介され、アメリカ絵画の後進性が印象づけられたとき、アメリカ側はマルセル・デュシャンが『階段を降りる裸体』を発表、観衆の嘲笑をかうとともにどきもを抜いた。
 さらに第一次大戦中、マン・レイ(無用な機械シリーズ)、反芸術のピカビアや騒音音楽のバレーズらとニューヨークダダを起こした。
 さて、ブルトンである。彼はパリでダダと接触、洗礼を受けたが裏切り、独自の教義に基づきシュルレアリスムを作ったと言われる。

 註 なお、ダダとシュルレアリスムのちがいは、
 ダダはリゾーム的(根茎/遊牧/道化/分裂症/脱構築)
 シュルレアリスムは(ツリー型/定住/祭司/パラノイア/構築)
 とされる。

 註 年表を作ろう。
 1940年パリ陥落(第二次世界大戦、第三帝国軍) /(現実)
 1941年8月ブルトンNY。 前後してデュシャン、タンギー、エルンスト、マッソン、マッタなども亡命/(現実)
 1942年10月シュルレアリスム国際展/(現実)
 1943年2月マンハッタン パトリック・ワルドベルグの連れフーメイとブルトン会う。/『幻詩』
 同6月who May 「異界」/デュシャン呼ぶ、読む。/『幻詩』
 ●実はデュシャンは四次元を考えていた。彼の全著作集(一冊)の中に一個所この言葉がある。ダリ『磔刑』の超立体も、四次元立方体の三次元展開図だ。キリストを思わせる男の処刑図。
 これはハインラインの「歪んだ家」と同じ。八つの立方体が四次元的に過剰空間の面を形成。(第四次元の小説/三浦朱門訳/紀伊国屋書店)と同じだ。(現実)
 ●フー・メイは時間を支配できる呪文だが、これは先述のアーモリー・ショウにデュシャンが出品した「階段を降りる裸体」の時間の経過表現を思わせる。

 その一週間後「鏡」
  視よ!
  おまえのその目
  おまえの眼

 川又は鏡をよく使う。たとえば、反在士の鏡。

 1944年
 ブルトンがゴーキーとあったのは1944年でNY、イサム・ノグチが連れてきた。
 フーメイ姿を消す。『幻詩』
 1945年ゴーキーの個展のカタログにブルトンは、「眼のバネ――アーシル・ゴーキー」を書く。(現実)
 1946年3月ブルトン、パリに戻る。/『幻詩』
フー・メイ電話/ゴーキーにパリの住所を聞いた。/『幻詩』
 「時の黄金」を探す。
 1948年 養父サディコ、「時の黄金」受け取る。気分わるくなる。/『幻詩』
 呪文/光の影の陰。 光の奥の底。光の底。

 1940~50年代は、アメリカでは、抽象表現主義の時代。抽象表現に依りつつも感情、内面性、精神性を追求するようになる。
 実は、ブルトンが絶賛したゴーキーも抽象表現派に分類されれている。他、デ・クーニング、ポロック、ロスコなど。
 なお、50年代末から①ポップ・アート(ラウシェンバーグ、リクテンスタイン、ウォーホル)の時代へ突入する。

 ではフー・メイはだれか?
 18世紀中葉、フランスやイギリスでは霊媒が流行した。たとえば、ビクトリア朝時代のシャーロック・ホームズものにも、第一次大戦後のポアロものにも、霊媒が出てくる。
 シュルレアリスムの特徴である自動筆記も、実は霊媒が起源である。ダダのピカピア(前述)の自動詩も、ミロの自動デッサンも、ブルトンお気に入りだが、起源は霊媒だったのである。
 川又はこのへんのヨーロッパの事情をよくわきまえて、『幻詩』を書いたと推量される。
 ちょっと余談をいうと、フロイドの方法は、ユダヤ教、旧約の原理に支配されてると言える。旧約世界では神が犠牲を求める。神は善良なアベルに対してわが子を生贄にせよと命ずる。こうした恐怖感が、割礼の恐怖をともない、フロイトにはあったのかもしれない。
 ヒトラーにしても霊媒師という噂は、当時、あった。彼は祭司だったのかもしれず、となると犠牲を求めた。これが600万人もの人々を殺した、近代的合理主義では理解できないナチスの犯罪の真因だったのかもしれない。
 つまり、笠井潔が重視したカール・シュミットの例外状態なるものも、神の意思ならばわれわれは逆らえないのである。われわれ日本人も戦時下、そうして、批判などゆるされるはずはなく、敗戦必然にもかかわらず死へと駆り立てられたのである。
 ひょっとすると、川又がまだ明らかにしていない何かが『幻詩』にはあるのかもしれない。

 ⅩⅠ だれがモデルか。
 アンドレ・マッソンがもっともフー・メイに近い。
 マッソンは、フランスの有名な精神医学者で、フロイトの徹底的読み直しを行ったジャック・ラカンの義弟である。
 マッソンはアメリカが誇るアクションペインティングの画家、ジャクソン・ポロックの先駆者でもある。ブルトンお気に入りの画家で賞賛の批評も書いている。
 フランソワーズ・ルヴァイアン著『記号の殺戮』(谷川多佳子他訳/みすず書房)という本があるのをご存じだろうか。1996年12月刊である。そのⅠ章が「シュルレアリスム直前のフランス人における狂人と霊媒のデッサン」である。
 さらに、Ⅲではマッソンの石榴を巡って「オブジェの絡み合いにおける渦巻きと幻影」と題して論を進める。実際、マッソンの絵には渦巻きがよく現れる。古代では渦巻きは呪術的シンボルであり、たとえば太陽である。あるいは二つの渦からなる隼人の楯のようなシンボルもある。
 ここでラマール教授に講演題「時の渦巻き」を思い起こそう。渦巻きは銀河であるが、前述のとおり、ニーチェの〈永劫回帰〉であり、明らかに反キリスト教てきである。なぜならキリスト教では時は一直線で回帰しない。始源から終末に一方通行である。であるから、たしかに反キリストであり、ならば魔術的である。
 以上から、Who is WHO MAY?の答えは、マッソンがふさわしい。

 結語/目下、『幻詩』は絶版状態だが、神田など古書店を探すと見つかるかもしれない。傑作であると保証する。(2012年8月5日)

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